HOME > かんばやしの歴史と伝統

受け継がれるお茶師の伝統。秀吉、家康に仕えた四百余年の歴史。

宇治茶とかんばやし

上林家伝来の「呂宗茶壺」 栄西禅師によって伝えられた中国のお茶は、今から約800年前に明恵上人によって気候・風土の自然条件に恵まれた宇治の地に育てられました。香り高い宇治茶のおいしさは、もともとこの気候と風土に恵まれた自然条件にありますが、高級品の産地として名高くなったのは、室町時代に足利将軍義満が"宇治七名園"を指定したころにはじまります。当時より、将軍家より手厚い庇護を受け、茶頭取として権力を二分した茶師の一人、上林掃部(かんばやしかもん)を始祖に持つ「かんばやし」の歩みは、そのまま宇治茶の歴史と言えます。
その後、「北野大茶会」で有名なようにお茶を好み、茶道を民衆に広めた秀吉の時代には、初代上林春松軒が現在の店舗である宇治橋の西一丁に居を構え、豊太閤に重く用いられました。

お茶のかんばやし旧店舗 秀吉の没後、政所が江戸幕府に移ってからも茶道はますます盛んとない、徳川家康は上林一族に宇治茶の総支配を仰せつけ、宇治代官に任じて宇治茶を重用したのであります。
三代将軍家光の時代には、幕府及び江戸の将軍家が毎年自家用のお茶を宇治の茶師から取り寄せるのに、その道中茶壺の往来に豪華な行列を行ったことは、いわゆる「お茶壺道中」として有名な話です。
上林一族は禁裏御所御用、幕府御用の茶師となり最高の位の御物茶師として江戸時代をおくりました。
明治に入って、維新後、廃藩置県の令が行われ将軍家や諸国大名の庇護が全くなくなったお茶師はその殆どが転廃業を余儀なくされ、姿を消してゆきましたが、十一代上林春松は、明治初期に初めて作られた「玉露」を扱い、多くの愛好者を得て、再び盛んになった茶道と共に宇治茶の老舗として今日に至っております。

かんばやしの今

書家・杭迫柏樹(日展)書 お茶の歴史と共に四百余年、お茶一筋に生き続けている茶舗として、先祖の遺徳を尊びつつ、伝承の技に加えて近代的な技術を採り入れ、お茶のいのちを守り、今後も末長く日本の味と色、香りを育ててゆきたいものと念願しております。

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